野崎観音墓苑について

野崎観音慈眼寺の歴史

野崎観音は、福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺です。今から1300年ほど前、天平勝宝年間(749〜757年)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と行基様に申されました。感動された行基様は、観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです。

幾多の戦乱のため荒れはて、1565年(永禄8年)三好・松永の兵によって全焼し、本尊の観音様だけが残りました。長い間、小さいお堂のままでおまつりしてありましたが、元和2年(1616年)青厳和尚がこのお寺を復興され、元禄宝永ごろにのざきまいりが盛んになると共に、お寺も栄え、現在に到っています。

野崎観音墓苑は、野崎観音 慈眼寺の境内にある霊園です。

毎年5月に行なわれる「のざきまいり」では、20万人もの人で賑わう野崎観音。また、お花がきれいなお寺としても有名で「いつお参りしても、お花がきれいなお寺にしたい」と、住職の奥様を始め、たくさんのボランティアの方々が丹精こめてお世話してくださり、いつでもきれいな花々がお参りの方を出迎えてくれます。

野崎観音境内では、霊園・墓地や永代供養や納骨堂の使用者募集中です。

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